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植物―特に花―の場合は、蜜の香りで虫達を呼び寄せる。
発情期の動物の場合は、体からその時期特有の香りを発する事で自らのパートナーとなり得そうな異性を呼び寄せる。
人間の場合少し事情は違っていて、体臭を隠して植物や動物が本来持つはずの香りを香水という形で身につける。
人によって纏う香りの種類もその使用目的も様々。
しかし大人の女性の香水の香りには確かに、男性を引き寄せる魔力の様なものがある。
それじゃあ、彼の場合は……?
普段大人の余裕で私に接しているニクスさんも、少しは動揺してくれるのかしら?
私はいつも、彼の言動や表情や――香りに、どきどきさせられているけれど。
息苦しくて声も出ないくらいに、クラクラするの……………
「ええと、確か待ち合わせはこの辺のはずだけど……?」
アンジェリークは女学校の親友達と一緒に買い物をする為、首都ウォードンに来ていた。
親友の一人、サリーから先週手紙が届いたのだ。
彼女は久々に逢うアンジェリークに、ライトグリーンの瞳を嬉しそうに輝かせて「こっちよ、アンジェ!」と手を振っている。
待ち合わせたのは、ちょっと小洒落たカフェ。手紙を送ってきたサリーはその入り口近くでもう一人の親友ハンナと立っていた。
辺りをきょろきょろと探していたアンジェリークはその呼びかけに気付くと、手を振り返して彼女達に駆け寄っていく。
「はぁっはぁっ……二人とも、待たせてごめんね」
急いで走ったので息を切らして謝るアンジェリークに、蜂蜜色のロングヘアにスミレ色の優しげな瞳を持つハンナは「私もサリーも今来たところだから大丈夫よ」と安心させるように微笑んで声をかけた。
「そうよ。それに真面目なあなたがオーブハンターの仕事をお休みしてまで来てくれたんだもの!」
ハンナに同意するサリーの言葉に、アンジェリークは苦笑いを禁じえなかった。
(本当はどうしようか迷ってたなんて言えないわね……)
手紙を受け取った時、アンジェリークは正直迷っていた。
『オーブハンターのお仕事もあるし…』と遠慮する彼女に、「せっかくお友達が誘って下さっているのですから、楽しんでいらっしゃい。貴女はいつも頑張り過ぎる位よくやってくれているのですから、たまにはゆっくりして欲しいのですよ?」
そう言って背中を押してくれたのは、彼女をオーブハンターにならないかと誘ったニクスだ。
彼は首都の南にある学びの園・カルディナに用があると言って馬車を用意してくれ、ここまで送ってくれたのだ。
ひょっとすると彼は、親友たちの反応まで予想していたのだろうか……?
いずれにしても彼は本当に大人の男性なんだと、ふとした時に思い知らされる事がある。
それはまるで、自分と彼を隔てる壁のようにも感じられて……………胸が、苦しくなる。
「アンジェ?どうしたの、ぼーっとして」
その声にはっと気がつくと、サリーが顔を覗きこんでいる。
どうやらしばらくの間考え込んでしまっていたらしい。
アンジェリークは「何でもないわ」と微笑んで答える。
(今日はせっかくニクスさんが勧めて下さったのだもの。楽しまなくちゃね)
三人は少し早めの昼食を、待ち合わせ場所にしていたカフェで軽く済ませてから店を回る事にした。
およそ1時間後、三人はカフェで出された料理の味に満足したようで、嬉しそうな笑顔で出てきた。
「あー、美味しかった!流石に最近流行りのお店ね〜。店員さんの対応も良かったし」
「くす……サリーったら、いくらケーキが美味しいからってあんなに食べたら太るわよ?」
にこにことした表情のままグサッと刺さる一言を放つのは、ハンナ。
「ほっ…ほらほら二人とも、まずどこに行くの?早くしないとお店ほとんど回れないわよ」
アンジェリークは慌てて話題を変える。放っておくと何となくまずいと思ったのだ。
ハンナはアンジェリークに向き直ると「そうねぇ…」と頬に片手を添えて考え始める。
サリーは言われた事に思い当たる事があるのか「いいもん…ダイエットするから………」と呟いている。
「そうだわ、新しい香水が欲しかったのよ私。新作が色々出たそうなんだけど私一人じゃ決まらないの。二人とも一緒に来て選んでくれる?」
両手をぽんと合わせて本日最大の目的を告げるハンナの鶴の一声により、彼女がよく行くという店に行く事になった。
アルカディアでも有名な化粧品会社の本店だというその店は、貴族もよく出入りしているらしく、煌びやかな内装に加えて礼儀正しい店員たちに、アンジェリークは少々気後れした。
ハンナは流石に良家のお嬢様だけあって、堂々としていたが……
(そういえば、ニクスさんは貴族なのよね……)
彼ならきっとこのような場所でも気後れする事なく、巧みな話術で相手を手玉に取れるのだろう…そんな気がした。
再び胸が鈍く痛み出す。
「ねえアンジェ。この香りなんだけど……」
「きゃあっ」
急に話しかけられたアンジェリークは驚いて悲鳴を上げてしまい、一気に店内の注目を集める。
穴があったら入りたい…そんな思いでアンジェリークは耳まで赤くなった顔を伏せる。
「ごめんごめん。ハンナと相談したんだけど、私たちからあなたにプレゼントがしたいのよ」
「え?」
顔を上げたアンジェリークに、小さな瓶が差し出される。
「この香りがあなたにとっても似合うと思うのよ。この香りならきっと、ニクス様も喜ぶわ」
「ちょっとハンナったら、どうしてそこでニクスさんが出てくるのよ?!」
人の良さそうな微笑みでさり気なく投下された爆弾発言に、アンジェリークは図星をさされたのを必死で誤魔化す。
するとハンナはにっこりと笑みを深くすると、言ってのけた。
「あら、この前お仕事を頼んだ時の二人の様子からして、何だかいい雰囲気だったじゃない」
それ以上何も言えなくなったアンジェリークを、今度はサリーがフォローする。
「まあまあ。あなたに似合いそうな香りだと思うのは確かだから、試しにつけてみてくれない?」
勧められた香水をすぐにつける訳ではなく、側に置いてある紙に吹き付け、間を置いてから香りを確かめる。
香水に詳しいハンナ曰く、まず最初に香りの第一印象を判断する為らしい。
「…うん。好きだわ、この香り」
アンジェリークが素直に感想を述べると、「今度は腕に少しつけてみてね」とハンナがアドバイスする。
言われた通りに香水を腕に少量つけると、ハンナは「それじゃあ次のお店に行きましょう」と告げた。
「え?いい香りよ?」
きょとんと目を見開くアンジェリークに、ハンナは説明する。
「さっき確かめたのはあくまで香りの第一印象。実際肌につけてから三十分後くらいの香りが気に入るとは限らないもの」
つけた直後の香りをトップ・ノート、およそ十分〜一時間頃の香りをミドル・ノートといい、ミドル・ノートは香水の本当の香りと言われているのだ。
「香水を買うのは時間がいるものなのよ。だから最初にここに来たかったの」
ハンナはそう締めくくった。それでアンジェリークは納得する。
それから三十分後、三人は最初に選んだ香水をそれぞれ手にしてほくほくと満足そうな顔で店を後にした。
結局その日買ったのは香水のみで、服などは見るだけに留まった。
――時間ぎりぎりまでどれにしようか迷った挙句、決められなかったのだ。
「アンジェ、そろそろニクス様がお迎えにいらっしゃるんじゃない?」
ハンナが日の傾き具合を見て尋ねる。確かにそろそろ、約束の時間だろう。
「あっ…それじゃあ、そろそろ行くわね。ハンナもサリーも今日はありがとう!楽しかったわ」
「また手紙出すわね。体は大事にするのよ?あなたはすぐ無理するんだから……」
サリーが心配そうに言うので、アンジェリークはにっこりと笑う。
「ありがとうサリー。皆にもよろしくね」
アンジェリークはその場を後にして、ニクスが迎えに来ると言った場所に向かう。
――果たして彼はどんな反応をするのだろう…と、期待と不安を胸に抱きながら。
続きます(汗)
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