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アンジェリークが聖地での療養を始めて2週間も経ったある日、レイチェルから小さな鉢植えの花が届けられた。
読書中のルヴァの邪魔にならない様に部屋の外でそれを受け取り、部屋に戻ったアンジェリークは花を見て、少し自信なさげに呟いた。
「…これは……スノードロップかしら?」
ソファに座って本を読んでいたルヴァは、その言葉に視線を彼女の方へと向ける。
二人しかいないので、その頭にターバンは巻かれてはいなかった。
(マルセルの私邸に咲いているのと同じ花ですから、間違いなくスノードロップですねー)
聖地では、天候は女王の力で管理されているので、季節の移り変わりがほとんど感じられないのだが、外界では丁度今の時期に咲く花だ。
「アンジェ、スノードロップの花言葉は知ってますかー?」
おそらくレイチェルは花言葉に、アンジェリークへの想いを託したのだろう。
そう考えたルヴァはアンジェリークに一応尋ねてみた。
「ええと…『希望』、『慰め』、『恋の最初のまなざし』……でしたよね?」
少し考え込んで、覚えている限りでスノードロップの花言葉を挙げるアンジェリーク。
「そうですよー。でももう一つ、意味があるんです」
ルヴァはうんうんと頷きながら、アンジェリークに手招きして隣に座るよう勧める。
アンジェリークは鉢植えをテーブルの上に置き、勧められるままにルヴァの隣に腰掛ける。
「スノードロップにはあと一つ、『まさかの時の友』という意味があるんですよー」
おそらくレイチェルが彼女に、最も伝えたかったであろう花言葉………
それでわかったのだろう、ふふっと嬉しそうな笑顔で、アンジェリークは鉢植えを見つめる。
(レイチェル…本当に、本当にありがとう。私もあなたのこと大好きよ……………)
アンジェリークの横顔を、目を細めて愛しげに見つめるルヴァは、スノードロップにまつわる伝説を思い出していた。
まだ雪が残っている早春に、白く可憐な花を咲かせるスノードロップ。
それは、神の怒りを買って楽園を追放され雪原に放り出された二人の男女を慰める為に、天使が雪を変化させて作った『希望』の花―――…
伝説と共に思い出した、女王試験中のレイチェルとの会話。
(そういえば…女王試験の時に『アンジェリークについて聞かせてほしい』とレイチェルに言われたことがありましたねぇ………私があの時アンジェを淡雪に例えたら、彼女は『むしろスノードロップに似てる』と言ってましたけど、その通りかもしれませんね……………)
凍えそうになっていた二人は、その花にどれほど支えられたのだろう。
アンジェリークが入院中に、実際の雪に触れてその儚さと冷たさを経験したルヴァは、その二人を自分に重ね合わせて、思わず笑みがこぼれた。
アンジェリークは首を傾げて、不思議そうにルヴァを見つめる。
そんな彼女が愛しくて、手を伸ばして彼女の頬に触れる。
(あの時…貴女が元の生活に戻ると言った時、私は一度諦めてしまった……………)
女王試験が終わるほんの少し前の出来事を思い出し、ルヴァは無意識の内に、隣に座るアンジェリークを抱き寄せていた。
アンジェリークは、少し戸惑ったらしく体を一瞬強張らせたが、やがて肩の力を抜いて、ルヴァの肩に頭を預けた。
(アンジェ…私は貴女と一緒に、同じ時を歩んでいきたいのです)
アンジェリークが難病に冒され意識不明の重態と聞いた時に、全てを投げ出してでも――と、そう願ってしまった自分………
(実際には、嵌められてたんですけどねー…)
それでもその時の想いは、今も変わらない……………
決心が、ついた。
「アンジェ」
ルヴァは少し緊張した声で、隣に座るアンジェリークを呼ぶ。
「…はい?」
顔を上げたアンジェリークは、いつもの穏やかな笑みと違って、真剣そのものなルヴァの表情に、思わず見惚れてしまった。
――頬が、ほんのり紅く染まる。
そんな彼女の様子に気付いて微かに微笑んだが、すぐに真剣な顔つきに戻ってルヴァは告げた。
「貴女には、新宇宙で女王補佐官の椅子が用意されています」
気持ちを落ち着かせる為に、一呼吸置いて、続ける。
「今のままでは、貴女は私と同じ時間は生きられません……私は…貴女に、先立たれるのが……怖いんです……………」
そう告げて、ルヴァはアンジェリークをぎゅ…と、抱きしめる。
――その腕は、微かに震えていた。
アンジェリークは、震える腕で抱きしめてくるルヴァの表情に、はっとさせられた。
今にも、泣きそうで…でも泣くに泣けない……そんな、壊れやすいガラス細工の様な、顔。
アンジェリークはそんな彼を、一度だけ見た事がある。
――アンジェリークが四ヶ月ぶりに、人工冬眠装置による『眠り』から目覚めた時だ。
(この人は本当の意味で、強い人なんだわ……とても優しくて、物知りで…謙虚な人。今までそう思ってたし、それは事実だけど、いっぱい傷ついて、一つ一つ乗り越えてきた、強い人だったのね―――…)
決して表には出ない、彼の強さ。
――途中で投げ出す事無く、今まで向き合って来たのだろうか、様々な困難と………
泣きたい感情を柔らかな笑顔の下に隠して、そして、一人で泣いていたのだろうか―――…
アンジェリークは、今までとはまた異なる想いで、彼の背中に手を回した。
胸が、涙さえ出ないほどに、痛くて………
彼が、大切だと思う。何に代えても、守りたい…そう思った。
――あの時選んだ家族よりも……………
(今まで、どんな悲しみを、越えてきたの……?私は貴方を思い出すとき、いつも笑顔を思い出すわ。だっていつも貴方は、笑っているだけ…優しい笑顔で。でも、お願い…ルヴァ様。どうか私の前だけは、涙を見せて………)
与えられるだけじゃなく、与えたい。沢山のものを、彼に貰ったから――
「私、ルヴァ様が…とても、とても好きです」
(他の人の前で泣けなくても、私の前だけは、我慢しないで――――――!!)
アンジェリークは精一杯の想いを、言葉に、彼の背に回した腕に、込めて祈る。
「『好き』だけじゃ足りない位、大切なんです」
そう言って腕に力を込めるアンジェリークの瞳から、涙が零れた。
「…アンジェ」
ルヴァは優しい声で、そっとアンジェリークを呼ぶ。
アンジェリークが顔を上げると、ルヴァも泣いていた――微笑を浮かべながら。
「私も、『好き』では足りない程…貴女を、『愛しています』………心の底から」
その言葉に、アンジェリークは今までで最高の笑顔を見せた。
――それは、堅かった蕾が温かさで花開くような、唯一人愛する人に向ける最高の笑顔。
「私も…『愛してます』」
ルヴァの表情が微笑みから、満面の笑みになる。
彼には分からなかったが、その笑顔は今までアンジェリークが見た中で最高の笑顔だった。
――温かく包み込むような、唯一人愛する人に向ける、最高の笑顔………
どちらからともなく、顔が近づく。
ルヴァが両手でそっと、アンジェリークの頬を包み込むと、その手の温もりに安心したのか、アンジェリークはそっと瞳を閉じた。
二人の顔が更に近づき――唇が、触れ合う。
ルヴァも瞳を閉じて、その温かい口づけに、精一杯の、祈りを込めた……………
それから数日後の、爽やかな青空が眩しい日の曜日の午後、ルヴァとアンジェリークは、水の守護聖の私邸で開かれるお茶会に来ていた。
二人を招いた水の守護聖・リュミエールは、お茶とお菓子を勧めながら、優しい微笑みを浮かべてこう言った。
「陛下も私たちも、皆お二人の事を心配していましたよ」
「そういえば陛下ったら、やたら生き生きしてたよね?またアンジェリークと一緒に遊びたいんだよね〜きっと☆」
リュミエールの言葉に頷いて笑うのは夢の守護聖のオリヴィエ。
彼はルヴァに指示された惑星間密売組織の一斉摘発を、つい先日終えて帰ってきたところだが、その表情からは疲れは全く見えない。
予想より早くカタがついたので疑問に思ったオスカーが訊くと、『素晴らしいマニュアルがあったから』とオリヴィエは答えを返した。何故か遠い目をしていたらしいが………
アンジェリークはつい先日、ルヴァと二人でその決意を伝えに言った時の、この宇宙の女王の顔を思い出していた。
(確かに、すごく嬉しそうにして下さったわ…)
「はぁー…アンジェも大分回復してきたようですけど、まだまだ無茶はさせられませんよー?」
ルヴァが困ったように笑って、お茶をじっくりと味わうように飲む。
「そんな事言って、実は『まだまだこの子を独占していたい』だけじゃないのぉ〜?」
オリヴィエにからかわれて、丁度お茶を飲んでいたルヴァはゴホゴホとむせる。
その反応に、どうやら図星らしい……と、オリヴィエとリュミエールは思ったが、あえて口には出さなかった。
『ルヴァを敵に回してはいけない』からだ―――特にオリヴィエは相当懲りたらしい。
「だっ大丈夫ですか、ルヴァ様?」
むせるルヴァの背中をさすりながら、心配そうに見つめるアンジェリーク。
「あー、大丈夫ですよ。ありがとうアンジェ」
アンジェリークと目が合い、にっこりと嬉しそうに笑うルヴァ。
その瞳は、とても優しい――前よりも、格段に……………
外界では春まだ浅い頃だろうが、今の聖地は常春と言ってもいいかもしれない。
実際聖地は女王の力で気候が管理されているので、あながち間違いではないだろうが、それとは違う意味で―――…
ルヴァとアンジェリークの雰囲気に入り込めず、取り残されたオリヴィエとリュミエールは、二人が『春の陽だまり』に似ていると思った。
――周りを温かくさせる、優しくて穏やかな、春の陽だまりの様だと。
顔を見合わせ苦笑いをして、今度は温かく見守るように二人を見つめる。
オリヴィエとリュミエールの瞳も、とても優しくて穏やかなものだった。
(今度こそは、絶対にその子を離すんじゃないよルヴァ?今のアンタたち、とってもイイ顔してんだからさ………)
人々に美しさを与えるオリヴィエは、目の前の二人の笑顔を、心から綺麗だと思った。
(どうかお二人とも幸せになってください…あなた方のその笑顔は、私たちの心を癒して下さるのですから……)
人々に癒しを与えるリュミエールは、二人の笑顔に癒されていた。
聖地の誰もが皆、アンジェリークが完治した後新宇宙で女王補佐官になる事を知っている。
レイチェルの助けになる為、そして…ルヴァと同じ時を刻むために―――…
それでも…いや、だからこそ、二人の幸せを、祈らずにはいられない………。
やがて、アンジェリークは女王補佐官となり、新宇宙へと旅立った。
その後すぐ、両方の宇宙の聖地では、サンザシの木が植えられた。
…一本は金の髪の女王・アンジェリークの宇宙の、地の守護聖の私邸に、そしてもう一本は新宇宙の女王補佐官とその恋人のみが知る秘密の場所へと、祈りを込めて……………
―いつしか二つの宇宙の聖地に、こんな恋歌が伝えられるようになった―
この力は、宇宙と、そこに住まう全ての民の為に…
この心は、唯一人の、愛する人の為に………
このサンザシと、あなたの温かな笑顔に誓いましょう
私の還る『陽だまり』は、あなただけだと……………
-Fin-
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