―誰かがあなたを愛してる―
| それは、ニクスがアンジェリークと出会うより少し前のお話―――… 凛とした声が聞こえてくる。 甘さの中に哀しみと諦めの色が滲み出た、若い女の声。 『………様、どうかこれだけは覚えていらして。必ず……』 ニクスが目を開けると、そこには最近ようやく見慣れてきた光景。 つい最近引っ越してきたばかりの、リースの村から少し離れた場所にある古い屋敷『陽だまり邸』の彼の部屋。 ニクスは天蓋付きのベッドの上に横たわったまま、ため息混じりに呟く。 「……また彼女の夢…大切な事を忘れてしまった私への罰でしょうか………ね」 『必ず……』その後に言われた言葉が、どうしても思い出せない。 もう百年以上も前に世を去った一人の女性が、別れ際に言ったことを。 彼女は社交界の華だった。 教養もたしなみもあり、少女のように可憐な容姿に天使の歌声を持つ、当時のアルカディアで随一の歌姫だった。 その頃別の名前を名乗っていたニクスは、まだ彼女が無名だった頃にその才能を見出して以来、惜しみない援助を続けていた。 二人が実際に対面したのは、彼女の懸命な努力の甲斐もあって、初舞台の主役に抜擢された時。 舞台が終わってすぐその衣装のまま自分の元に駆け寄ってきて、頬を上気させた満面の笑みで礼を言われたのが、昨日の事のように思い出される。 頭の回転が速い割に損得勘定で物事を考えるのが嫌いで、泣いたり怒ったり笑ったりくるくると表情が変わる、年齢よりずっと幼く見える女性だった。 いつしか二人は恋に落ち、彼女と過ごす間だけは、己の過去や罪を一時的に忘れる事が出来た。 このまま平穏に暮らせればいいのに…と、何度も願った。 しかし、それは叶わぬ夢。 幼い頃にエレボスにとり憑かれてからその頃で既に数十年が過ぎていたにも関わらず、ニクスの容貌は二十代の青年のままでほとんど老いる事が無かったのだ。 何年も共に過ごしていてもニクスが全く老いていない事実に、彼女が気付くのも無理はなかった。 その疑問を彼女が口にした時、ニクスは真実を伝えないまま、別れを告げた。 彼の決意が変わらないのを悟った彼女は、別れ際に何かを言った。 「貴女があの時私に何を言ったのか、もう思い出せなくなってしまいましたよ……」 ベッドから起き上がったニクスは、窓を開けて外の様子を眺めて呟く。 まだ深い霧に包まれた、早朝の庭。 朝食にはかなり早いし気分転換に散歩してみるのも悪くないだろうと考えた彼は、早速普段の服装に着替えて庭園に向かう。 そして――… 「これは……困りましたね」 数歩先も見通せない、真っ白な空間。 ニクスは自分が庭園のどの辺りにいるのかすら分からず、ひたすら霧の中をさ迷い歩いていた。 この分だとリースから通ってくる庭師も、難儀しているだろう。 もしかすると今日は来られないかもしれない。 そのうち霧も晴れるだろうが、いつになるのか定かではなかった。 (とにかくこのまま待っていても仕方ありませんし、屋敷まで辿り着けるよう歩き続けるしかなさそうですね) 足元や周囲を手探りで確認しながら、ニクスは自力で屋敷を目指す。 ……さま… 「え?」 霧の向こうから、声が聞こえた気がした。 立ち止まって耳を澄ませてみるが、誰の声もしない。 (気のせい……ですか…) 彼が自嘲的に笑った時、再び声がした。 今度は先程よりはっきりと。 ……様、どうかこれだけは覚えていらして。必ず……諦めずにいれば、あなたの求める陽だまりが見つかる日が来ると……… それは、遙かな昔に愛した歌姫が残した言葉。 ハッと顔を上げたニクスの、心の中にかかっていた霧が晴れる。 周囲の霧も、風向きが変わったのか、次第に薄れていく。 そしてしばらくの後、彼の目の前に広がった光景は…………… 朝の光を燦々と浴びる、陽だまり邸の姿。 その名に相応しく陽だまりの中に建つ緑の屋根の屋敷と、周囲に広がる若々しい緑。 彼は進んでいたつもりが、庭園の中をひたすらぐるぐる回っていただけのようだった。 それでもニクスは、どこか懐かしさと厳かな雰囲気の漂う光景に、静かな感動を覚える。 「思い出しましたよ………貴女のおっしゃった言葉を」 必ず……諦めずにいれば、あなたの求める陽だまりが見つかる日が来ると… あなたが諦める事無く希望の種を蒔き続ける限り、あなたがあなたである限り、私はあなたの為に歌い続けましょう。 いつかきっと、あなたの孤独が癒える日が来るよう、私は祈り続けましょう……… -Fin- 〜言い訳〜 昔の女ネタ投入〜!!やっぱり難産でした(^^;) ニクスさんって結構色んな人のパトロンになってたと思うのですよ。以前描いた画家の親友もその一人。 彼らの前から姿を消した後も、援助は続けていたと思います。 2007.10.25 UP |
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