―眠れぬ夜にも、星の光があなたを照らしてくれますように―

夕食を終えてからずっと本に読みふけっていたルヴァは、ようやく一冊読み終えたらしく顔を上げる。

「おや……随分静かですね」

そう思って側にある時計に目をやれば、既に日付が変わっていた。
確かにこの時間なら、既に床に就いている者もいるだろう。
しかしルヴァは先ほどまで新しく手に入れた本に集中していた為、目が冴えきっていた。

明日は休日で特に予定が入っている訳でもなかったが、何故だかテーブルに積まれた未読の本に手を伸ばす気にもならなかった。
眠りの波が来るまでどうしようかと思いながら窓を開けると、外から吹き込んできた夜風が、さらさらとルヴァの髪を撫でる。
ひんやりとした空気が頬に心地よかった。

ふと空を見上げれば、今にも天空から零れ落ちてきそうな程の満天の星空。
特に今宵は雲一つ無く澄み切っていて、いつもは柔らかく夜の世界を幻想的に照らし出す月光も、新月なので星の光を妨げる事はなく――星を眺めるには、絶好の夜だ。

「…庭園にでも、行ってみましょうか」

私邸の庭より彼女との思い出が詰まった庭園からの方が、より心が近づけそうな気がしたから。
この宇宙の危機を共に救い、守るべき自分の宇宙へと帰っていったアンジェリークに、そして――彼女の居る、新しい宇宙に。

思い立つや否や、外していたターバンを頭に巻くと、部屋を出てまだ起きていた使用人に「ちょっと庭園まで星を観に行ってきますねー」と言い残して出かける事にした。
普通ならこんな夜更け、しかも月が出ていない為に足元が覚束ない夜に、大切な主を一人で外出させはしないだろう。
しかしどうやらルヴァの私邸に勤めている者達は、既に主の行動に慣れているらしい。
そして、彼の行動の理由にも……………
こういう時、ルヴァは必ず自分の足で歩いて行くのだ。一人で。

「お気をつけて、ルヴァ様。歩いて行かれるなら、明かりをお持ち下さいね」
その言葉に見送られ、アンティーク風のカンテラを片手にルヴァは私邸を後にする。



月明かりが無い分、明かりが無いと足元が見えない、そんな夜だった。
ルヴァが手に持つカンテラは、実は火ではなく電池式なので落としても火事になる事は無い。

(今の私の姿は、例えるならタロットカードの『隠者』に似てるんでしょうかねぇ……)

カンテラを持つ己の姿を傍から見た人間が何と思うのだろうかと考え、くす…と微笑んで庭園へと着実に歩を進めていく。
――ちなみに『隠者』のカードには、老人がランプを片手に暗がりを探す姿が描かれている。
最高の知識と知恵を持つ隠者は、消極的であるが故にその力をなかなか発揮できない事もある。
その手に持つランプは時に、道に迷った者を導く灯火となるのだが……


月が出ていないせいか、ルヴァが庭園に着いた時には誰一人いなかった。
その方が、かえって都合が良い。
新宇宙にいるアンジェリークに想いを馳せるその時だけは、誰にも邪魔されたくなかった。
それは、神聖な祈りにも似ていたから……………
庭園に備え付けられたベンチに近づくと、その隣で月見草が一輪花開いているのに気付いた。
今宵月が出ていたなら、その寵愛を受けたように柔らかな光を一身に浴びて、穢れない白い花を月に見せていたのだろう。
しかし今夜は新月だった。待ち人来たらずのこの花も、月に想いを馳せているのだろうか……

取りとめも無い自分の発想に、ルヴァは小さく自嘲的な笑みを零す。

「お邪魔してしまったかもしれませんが、しばらくご一緒させて下さいね」

そっと月見草に向かって告げると、手元の明かりを消して静かに空を見上げる。
見つめるのは、新宇宙の方角。
その先に、想い人が愛らしい笑顔で手を振っているかのように思えて、目を細める。

庭園に居ると思い出すのは、女王試験の間にアンジェリークと過ごした記憶――
まだ試験に慣れていなかった頃、昼間の庭園を背景に、はにかんだ微笑を向けてきた彼女。
その笑顔に思わず胸がどきりとしたのは事実だけれど、あの頃は、これ程彼女の存在が心を占めるとは思わなかった。
庭園の草木を見て思うのは、まだ記憶に新しい戦いの日々に初めて目の当たりにした雪や紅葉、その他皆で守り抜いた宇宙の様々な惑星で彼女と共に見た、心打たれる風景。
そして…………………………最後に二人で見上げた、この聖地の夜空。
あの夜は月明かりもあって、今日ほどには星が輝いていなかったはずなのに、今頭上に広がっている、漆黒のベルベット一面に銀の粉を散らした様な空よりも数段、美しかった。
隣に彼女がいたという、たったそれだけの事で……………
側にアンジェリークがいない事実を、改めて思い知らされる。
流石にこの年になって寂しすぎて泣きはしないが、ただ一人の存在を、その姿を、切望する。

「アンジェリーク……」

堪えきれずに漏れた小さな呟きを、聞きとがめた者がいた。
「誰かそこにいるのか?」
聞き覚えのある声と共に、近づいてくる足音が聞こえてくる。
「私ですよ、オスカー」

気付かれないように、そっとため息を吐いて答えるルヴァ。
出来れば誰にも、今の呟きを聞かれたくは無かったのに――
そんな事を思いながらも、側に置いているカンテラに手を伸ばして明かりを点す。
ぽぅ…と柔らかな光が、辺りを照らす。

「こんな夜更けに一人で何をしてたんだ?」
カンテラの光に照らされたオスカーは、訝しげな表情で尋ねてきた。

「今日は星が綺麗ですからね、眠れないので夜空を眺めていたんですよ。そういう貴方こそ、こんな遅くにお散歩ですかー?」
ルヴァがにっこりと切り返すと、オスカーは苦笑いを浮かべる。

「まあ、そんなとこだ」
「せっかくですから、しばらくご一緒しませんか?私もこの花と同席していますし……」
そう言ってルヴァがベンチの隣にひっそりと咲く月見草を見つめると、その視線を追ってオスカーも月見草に目をやる。

「やめとこう………邪魔して悪かった」

立ち去ろうとするその背中に、ルヴァは声をかける。
「どうして邪魔をしたと思うんです?」

オスカーは振り向くと真面目な顔つきで答える。
「……あんたが見ていたのは、目の前の星空じゃなく新宇宙だろう?いや、より正確に言えば『星空を通して新宇宙のお嬢ちゃんを想っていた』か」

あっさりと言い当てられ、そんなに分かりやすかったのだろうかと思わず苦笑いが零れる。
やはり、オスカーは先ほどの呟きを聞き取っていたのだ。

「そんなに私は分かりやすいですか、オスカー?」
ルヴァがそう訊きかえすと、オスカーは「いや…」と首を横に振った。
「俺もさっきのあんたの言葉を聞くまでは、気付かなかったさ」

アンジェリークが新宇宙に帰ってからしばらく経ったが、ルヴァは今までと同様に振舞っていた。
だからオスカーも、ルヴァが身を焦がす程の切なる想いを秘めている事に気付かなかった。
オスカーの耳は彼に、先ほど捉えたルヴァの呟きが、どれ程の強い想いによるものかを教えた。
――あれは猛々しく燃え盛る炎ではなく、例えるなら熾火のように密やかに燃える様な、静かな情熱を秘めた声色。
穏やかな微笑を絶やさない彼が、口に出してしまった熱い感情。
しかし今オスカーの目の前で話す彼は、恋をしながらも想う相手の立場を慮る、一人の節度ある大人の男の顔つきそのもので……………それ程の想いを表に出さないだけの精神力を、ルヴァが持ち合わせているという証明でもあった。
ルヴァのアンジェリークへの想いの強さと、それを暴走させない自制心に、頭が下がる思いがした。
彼の持つ強さは、オスカーの持つそれと、種類こそ違ってはいたが。

「あんたでも、強く胸を焦がす事があるんだな………」

幾ばくかの驚きを含んだ言葉を残すと、それ以上の問答は無用とばかりに、オスカーは明かりも無いのにしっかりとした足取りで立ち去っていった。
どうやら彼には明かりは無用らしい。流石は『女王の剣』を自負するだけある。
彼の背中を見送りながら、ルヴァはオスカーがどれ程の鍛錬を積んできているのかを感じ取る。


オスカーが去って、再びルヴァと月見草だけになった。
明かりを消し、求める輝きを遥か遠くの空に探す。
静かに新宇宙の方向を愛しさと切なさを滲ませた瞳で見据え、ルヴァは微笑む。

「アンジェリーク…貴女が先の見えない不安や緊張で眠れない夜でも、どうか星の光がその足元を、歩む道を、優しく照らしてくれますように………」

時間は既に草木も眠る頃になっていた。
人々に知恵という名の灯火をもたらす彼の心からの願いを聞いたのは、その傍らでひっそりと白い清らかな花を咲かせる、一輪の月見草のみ……………


-Fin-



〜後書き〜
ルヴァ様お誕生日企画(?)第1弾投下しました〜。お誕生日をお祝いするような内容ではなく、ただ私が書きたかったネタですけど。
『眠れぬ〜』は「天レクLLED後、再会するまでの期間にルヴァ様が願った事」という話になりました。
コレちゃんも新宇宙で同じ事を願ってるという設定はあるんですが、ルヴァ様視点のみになってます。
タロットカードの意味も調べてみるとなかなか興味深いですねv私はルヴァ様に対して『隠者』よりむしろ『法皇』のイメージがありました。
でも『隠者』の方かもしんないな〜(←どっちやねん)
まあとにかく、ルヴァ様にとっての灯火はコレちゃんって事ですね(笑)
ルヴァ様と話す候補者三人(クラヴィス・オリヴィエ・オスカー)の内、オスカーになりました。
ルヴァ様の持つ強さとオスカーの持つそれとの対比ができるといいな〜と思いまして。読者様に伝わってるといいんですが…ルヴァ様の強さが(汗)

月見草の花言葉は『打ち明けない恋・無言の恋』、タロットカードの『隠者』の正位置の意味は、『ほろびることなき愛・大人の恋・お互いの心を尊重する』という意味らしいです。
2006.7.2 UP

ここまで読んで下さってありがとうございます

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