―微笑んで傷つけた―

あれは、どれ程昔の事でしたか――
もう面影すらもはっきりとは覚えていませんが、私に生きる目標をくれた女性がいました。

その頃の私は何度も死のうとして、結局エレボスの力の為に死ぬ事さえ許されない事実を知り、生きる気力を無くしてただ、アルカディア中を途方もなく彷徨っていました。
ゆっくりとしか年を重ねなくなってしまった為に、私は故郷を離れざるを得なくなったのです。
あの頃は、本当に疲れていました……
眠りに就くとエレボスの意識が活発になってしまうので、意識を強く保つ事でエレボスを抑え付けていた私は、ほとんど眠る事ができなかったのです。
それはつい最近まで変わる事はありませんでしたが……………ね。
ほんの僅かな夢の時間に見るのは、己の閉ざされた未来のみ。
ゆっくりとあらゆる感覚が、侵食されて麻痺していくように感じられました。


そんな日々を過ごしてさすらっていたある冬の事でした。
フルールにたどり着いた私の耳に、綺麗な歌声が聞こえてきたのです。
声がする方に、私は近づいていきました。
気がつくと私は、村外れの雪に覆われた墓地の中にいました。
そこで二十代半ばといった風情の女性が、さえずる様な声で歌っていたのです。
その歌声の美しさと儚さに、私はしばし時を忘れて聞き入っていました。
しばらくして気付いたのか、彼女は歌うのを止めて声をかけてきたのです。
そんな格好でここに居て、寒くはないのかと。
彼女の言葉で、私は自分がまだ寒さを感じる事が出来るのに気付いたのです。
彼女は有無を言わさず凍傷になりかけていた私の手を取ると、
自分の家へと引っ張っていきました。あの時は驚きましたね。
歌声の美しさと儚さからは想像もつかなかった彼女の行動に。
着いた先は大きな家でした。その当時、村で最も大きな家だったようです。
一人で住んでいるのだと言ってました。
見ず知らずの私に温かい紅茶と、自家製のガトーショコラをご馳走して下さいました。
そして、ストーブの前の特等席を勧めてくれました。
丁度おやつの時間だったから……とか言ってましたね、彼女は。
彼女の紅茶とガトーショコラの味は、今でも忘れられません。
私にまだ感覚が残っているのだと……教えてくれたのですから。

そのまま私はしばらく彼女の家にご厄介になっていました。
どうやら彼女は、私の思いつめた様子が気になって仕方無かったのでしょう。
それでも何も訊かれる事無く、家事の手伝いを頼まれたりして過ごしていました。
ふふ……今の私の料理の腕は、彼女に鍛えられたおかげかもしれませんね。
ただ、どうしてもガトーショコラだけは、自分で作ろうと思いませんでした。
ある日、一緒に紅茶を飲んでいた彼女が言いました。
「ニクス。昔話を教えてあげる」………と。
その内容は、天使の護り石に関する伝承でした。
持つ者には聖なる天使の加護が与えられる――そういう話でした。

いつまでもお世話になる訳にもいかなかったので、また旅に出ると告げると、彼女は気前良く私の旅支度を整えてくれました。
私はずっと疑問に思っていた事を尋ねました。
「何故見ず知らずの私に、そこまでして下さるのですか?」とね。
彼女は微笑んで言いました。
「貴方は、私の弟に良く似ているのよ」と。
どうやら亡くなった弟さんの面影を、私に重ねていたようです。
彼女のご家族が亡くなった原因は――エレボスの影響による、タナトスの活動のせいでした。
それを知った私は微笑み返して言いました。
「私は貴女の弟さんの代わりにはなれません。
お世話になったお礼はいつか必ずしますから、私を身代わりにしないで下さい」
その言葉は彼女の心を、深く傷つけてしまったようです。
面影を重ねていたとはいえ、見ず知らずの私に見返りを求める事無く、あそこまで親切にして下さった彼女のご恩に対して、私は仇で返してしまったのです。
それでも、その時の私には耐えられませんでした。私以外の誰かの身代わりにされる事が。
今になって思えばきっと、初恋だったのでしょうね……………

その後彼女は、村の外でタナトスに襲われて命を落としました。
異変を聞きつけて私が戻ってきた時には既に、冷たくなっていました。
私にタナトスを浄化する能力があると知ったのは、その時だったのです。
それ以来、私は『ノーブレス・オブリージュ』を果たそうと心に決めました。
フルールに花時計の為の苗を贈ったのは、彼女が花を好きだった事も関係していますね。
あの時微笑んで傷つけてしまった彼女への、せめてもの償いだったのです――
もう面影すらも思い出せない、私の……初恋の女性への……………ね。


-Fin-

〜後書き〜
ニクスさん二百年の間何してたんだろ〜?という事で思いついたネタです。
またオリジナル要素強いな(^^;)アンジェちゃんや他のキャラ全く出てなくて、完全ニクスさんの独白です。
でも女性の扱い手馴れてるし、こんな切ない恋だってしたかもよ?と思うのですが、どうでしょう?(汗)

ここまで読んで下さってありがとうございます

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