―心を偽らないで―
くるくる目まぐるしく変わるその表情を、飽きる事無く見ていたい。 怒った顔も、笑った顔も、疲れた顔も………私にしか見せない、特別な顔も。 私の前でだけは、その心を偽る事無く、いつまでも真っ直ぐな貴女でいて下さい―― 「あの、ニクスさん?明日どうしても、行きたい所があるんです……場所は言えないんですけど」 それはアンジェリークがアルカディアの女王となり、ニクスと共に天空にある聖地に来て以来、日課になっていた午後のティータイムでの事。 いつものように午後の執務を終えてニクスの部屋を訪れた彼女が何か言いたそうだったので、気になって尋ねてみたところ、返って来たのが先ほどの言葉だった。 「どうしても……ですか。明日でなければならない理由があるのですね?」 じっとアンジェリークと瞳を合わせて確認すると、「はい」と迷いの無い眼差しではっきりとした返事が返って来た。 行き先を言えないというのが気になったが、彼女の事だからなかなか口を割らないだろう。 しばし考えをめぐらせた後、ニクスはゆっくりとティーカップを置いて言った。 「そうですね……。貴女がそうおっしゃるなら、私が反対する事もありません。その代わり、万が一の為に必ず私も同行させて頂けますね?」 すると彼の思惑通り、アンジェリークは言いにくそうに行く予定の場所を白状した。 「その、私が明日行きたいのは……両親のお墓なんです。丁度明日が、命日なんです。だから……………」 「なるほど。そういう事でしたか」 それで納得がいった。彼女はきっと自分に気を使ったのだろう…と。 ――ニクスに両親を亡くした時の事、エレボスに取り憑かれた時の事を思い出させない為に。 (本当に、貴女という人は……) 全く平気…という訳にはいかないが、エレボスの存在が無ければ彼女に出会う事は無かった。 少なくともアンジェリークが考えているより余程、彼女という存在に救われているのだ。 それが伝わっていなかった事に少々寂しさを感じたが、今は彼女の不安を取り除きたかった。 ニクスは微笑んでアンジェリークの側まで行くと、抱き寄せて囁きかける。 「私も貴女のご両親にご挨拶せねばなりません。どうぞ哀れなこの私を同行させて下さいませんか、私の可愛い女王陛下………?」 「んっ…ニクスさん、くすぐったいから耳元で囁くのは……………」 耳元で甘く低い声で囁かれ、アンジェリークは真っ赤な顔で身を捩って逃げようとする。 その様子が可愛らしくて、逃がしたくなくて、抱き寄せる力がかえって強くなる。 自分の腕の中で緊張する恋人に、ニクスは小さく笑みを零す。 「昼間の貴女は初々しいですね」 思わず口が滑った彼の発言に、アンジェリークは耳まで赤く染まった顔でキッと睨んできた。 「まだこんなに明るいのに、こんな事するニクスさんが悪いんです!!」 「おや。『まだ』という事は……暗くなってからなら宜しいのですね?」 余裕の表情で応えると今度は悔しさの為か、涙を滲ませて頬を膨らませるアンジェリーク。 ――その表情がかえってニクスを煽るとも知らず…。 「ああ……」 ある意味扇情的ともいえるアンジェリークの表情に、ニクスは小さく唸る。 (どうやら、私の理性もそろそろ限界のようです) ニクスは突然ひょいっとアンジェリークを抱き上げると、そのまま寝室へと直行していく。 アンジェリークは急に抱き上げられたので動揺したが、流石に暴れると危ないので動けなかった。 ――別の意味で危険な状況に置かれてはいたが。 「えっあの、ニクスさん?!こんな真昼間から何をするんですか?!!」 「おや、お分かりでしょう?これが初めてではないのですから……………」 確かにこれから予想される行為そのものは、二人にとって初めてではない。 しかしそれはいつも夜であって、まだ明るい昼間から行為に及んだ事はただの一度も無い。 どう逃げようかとあれこれアンジェリークが考えている間に、ベッドに辿り着く。 「とっ途中で誰か来たら、どうするんですか?!」 精一杯の抵抗も空しく、予想していたとばかりに妖しく微笑むニクス。 「大丈夫ですよ。貴女が部屋にいらしている間はいつも、鍵をかけていますから。ちなみにこの部屋は外側からだと、私の持っている鍵でしか開きません」 それに……と、ニクスは半分パニック状態のアンジェリークを抱きしめて続ける――どこか苦しそうな、切ない表情で。 「不安なんですよ……こうして貴女を抱きしめて閉じ込めておかないと、 幻のように、消え去ってしまいそうで……………」 「ニクスさん………」 二百年の間に彼が経験した様々な別れは、今もなお、その心に不安の波を立てるのだ。 それでも人当たりの良い微笑みで人々に接するニクスが、己の弱さを見せてくれるのが自分だけだと思うと、嬉しくて、愛しい。 アンジェリークはニクスに短く、触れるだけのキスをした。 今まで自分からは恥ずかしくて出来なかったけれど。 「アンジェリーク……」 不意打ちでキスされたニクスは珍しく、目を見開いて驚いていた。 まさかアンジェリークの方からキスされるとは思ってもみなかったのだろう。 それが何だか可笑しくて、思わず笑ってしまう。 「明日、ニクスさんが一緒に来てくれるなら……その…いいですよ………」 最後の方は恥ずかしさのあまり、消えるような声だったがニクスにはちゃんと聞こえたようだ。 大人の男性として、いつも余裕の微笑みを湛える彼が初めて、少年のように笑った――本当に、幸せそうな……眩しいほどの笑顔で。 「ええ、喜んで。ご両親の為に、両手一杯の花束を持っていきましょう」 翌日アンジェリークの両親の墓を訪れた二人は、大きな花束を墓前に供えると、どちらからともなく手を繋いだ。 風に揺れる白いカーネーションを見つめながら、アンジェリークが口を開く。 「お父様、お母様…大切な人ができました。一緒に、幸せになりたい人が………」 両親に向ける愛情とは異なる種類の、だけどとても大切な、かけがえのない想い―― ニクスも、真摯な面持ちで墓石に話しかける。 「……お二人が果たせなかった分まで、私が彼女を幸せにします」 繋いだ手に、力が篭もる。アンジェリークは微笑んで今は亡き両親に告げた。 「だから安心して見守っててね、お父様、お母様」 アンジェリークの両親への報告が済み、二人はお互いに顔を見合わせて微笑む。 するとニクスが繋いだ手を繋ぎなおし、アンジェリークの左手の指先に恭しく口づけた。 「ニクスさん………?」 首を傾げるアンジェリークに、ニクスは微笑んで説明した。 ――ご両親の前で、貴女への変わらぬ愛を誓いたかったのですよ……と。 -Fin-
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