静かに聞こえてくるオルゴールの音色。
その音は初めて聞くはずの曲でも、どこか懐かしさを感じさせる。
幼い頃、眠る前に枕元で聞いた、子守歌にも似ていて―――――
女王となった後、聖地で過ごしていたアンジェリークはある晩、どうしても寝付けずにいた。
何度も大きな天蓋つきの柔らかなベッのド上で寝返りを打つ。
時計を見ると、既に誰もが寝入っている時間だった為、隣の部屋で眠っているであろうニクスを訪ねるのも躊躇われた。
聖地は気候が安定している為、暑さや寒さで寝付けない訳ではなかった。
強いて言えば……………急激な環境の変化、だろう。
女王となって、色んな事が出来るようになった。
聖地の気候を安定させる事も、周辺に障壁を張る事も、宇宙意思の望みに従い、望まれたサクリアをあるべき場所に的確に導く事も……………。
しかし女王となる迄は、否、オーブハンターになる前は、普通の少女として暮らしていたのだ。
オーブハンターにならないかとニクスに誘われた時、いきなりの申し出にアンジェリークは戸惑った。
もしそんな力が備わっていたなら、幼い頃に両親を亡くす事はなかっただろう――そう思ったから。
(お父様…お母様……………)
寝付けない夜は、普段心の奥底にしまっている想いが顔を覗かせる。
特に今宵は――泣きたくなるほどに美しい、満月だったから。
アンジェリークは諦めてベッドから起き上がると、近くの椅子にかけてあったストールを羽織って窓際に近づいていった。
柔らかな月の光が、カーテンの隙間から静かに部屋に差し込んでいる。
窓に手をかけて開くと、冷たい夜風が部屋に入り込んできた。
その冷たさに、アンジェリークは完全に目が冴えてしまった。今夜はもう眠れそうにないだろう。
ポロン…
夜風に乗って綺麗な音色が聞こえてきた――オルゴールの音だ。
(一体どこから聞こえてくるのかしら……?)
他にも寝付けずにいる人がいるのだろうか?
この聖地にいるのは彼女と共に永い時間を過ごす事を選んだニクスの他に、教団から派遣されてきた身の回りの世話をしてくれる女官達や護衛の騎士達だ。
――彼らは家族からも、聖都セレスティザムからも遠く離れた天空に浮かぶこの聖地にいるのだ。
ホームシックになってもおかしくはないだろう。
それでも何だか気になって仕方が無くなったアンジェリークは、窓から顔を出して音の源を確認する。
美しいオルゴールの音色は、隣の部屋――ニクスの部屋から漏れていた。
彼もまた、眠れずにいるのだろうか。
かつて陽だまり邸で仲間達と共に暮らしていた頃、夕食会で彼が『眠った気がしない』と言っていたのを思い出す。
あの時彼は、エレボスを滅ぼした後どうするかという質問に対し、ゆっくり眠りたいと……そう言っていた。
アンジェリークがその言葉に秘められた真意を理解できたのは、それからしばらくしてからのこと。
――彼はエレボスから解放されて、安らかな眠りに就く事を望んでいたのだ。
(ニクスさん、未だに眠れていないのかしら?……それとも本当は、私と一緒に生きるのを、後悔しているの………?)
彼女が女王になると決めた時、宇宙意思であるエルヴィンは、ニクスと共にこの聖地で過ごしても良いと言ってくれた。
ニクスは初め戸惑っていたが、アンジェリークと共に生きる道を選んでくれた。
――永遠に生きる苦しみを、誰よりも知っている彼が。
こんな夜更けに訪ねて行くのは失礼だと、分かってはいる。
しかし、日の光の下での彼は……………後悔していたとしても、決してそれを表には出さないだろうから。
アンジェリークは意を決して部屋を抜け出すと、ニクスの部屋の扉を控えめにノックした。
コンコンッ
既に人が寝静まっている時間なのでかなり抑えて叩いたつもりだったのだが、人気の無い廊下に酷く大きく響いた。
「こんな夜更けにどなたですか?」
部屋の中からニクスの声が聞こえてくる――やはり彼は眠っていなかったのだ。
アンジェリークがどきどきして何も言えない内に、扉が内側から開けられた。
ガチャリ
「……アンジェリーク?……………ひょっとして、貴女も眠れずにいたのですか?」
出てきたニクスの姿は、普段のきっちりと着こなした服ではなく……ドレスシャツをラフに着た状態だった。
肌蹴た襟元から、適度に引き締まった胸が覗く。
「そっそうなんです…窓を開けたら、オルゴールがきっ聞こえてきたから、それで、ニクスさんのお部屋に………」
想いを通わせたとはいえ、こんな格好の彼を見たことが無かったアンジェリークはどぎまぎしていた。
――思えば両親を亡くしてから親戚の家、ベルナールの家族の元に引き取られたとはいえ、
それもまだ幼い時にメルローズ女学院の寮に入る事になったのだ。
特にアンジェリークは、親戚に負担をかけまいと真面目に勉強に取り組んでいた為、男性にあまり免疫は無い。
彼女の動揺ぶりからその事を察したニクスは、苦笑いを浮かべてアンジェリークを室内へ招き入れる。
気候が安定しているとはいえ、夜の廊下は冷えるのだからと、自らに言い訳をして……。
ニクスはアンジェリークにソファを勧めると、開け放っていた窓を閉めてお茶の用意を始めた。
オルゴールは、彼女の座るソファの前のテーブルの上で、綺麗な音を奏で続けている。
「……綺麗な音色ですね」
沈黙に耐え切れなくなったアンジェリークが、口を開く。
黙々と作業をしていたニクスが振り向き、微笑む。
「ふふ…気に入って頂けましたか?陽だまり邸に居た頃から使っているオルゴールなんですよ」
「え…そうだったんですか?でも私、このオルゴールを見た事ありませんでしたけど……………」
アンジェリークの言葉に、ニクスはどこか寂しそうな微笑を向ける。
「そうですね…。私がこのオルゴールを貴女にお見せしたのは、今日が初めてです。このオルゴールは、実は私の母の形見なのですよ………」
「……………ごめんなさい、ニクスさん」
辛い事を思い出させてしまった――アンジェリークは申し訳なさに、俯いて謝る。
「貴女が謝る事ではありませんよ。……さあ、お茶の用意も整いましたし、深夜のティータイムを楽しみましょう」
アンジェリークが顔を上げると、目の前のテーブルにニクスが紅茶の入ったカップを置く。
――今回はどうやらミントミルクティーのようだ。
お礼を言って、ゆっくりと味わう。ミントの爽やかな香りに、不安に沈む心に元気が湧いてくるような気がした。
思い切って気に掛かった事を、ニクスに尋ねてみる。
「あの、ニクスさん。私と一緒に生きるって言った事を……後悔、してますか……………?」
言っている途中から、ポロポロと涙が零れてきた――泣くつもりはなかったのに。
ここで自分が泣いてしまったら、彼は気を遣って本当の事を言えなくなってしまうのに………。
分かっていても、アンジェリークは自分の涙を止めることが出来ないでいた。
「アンジェリーク…私は後悔などしていません。するはずがないでしょう?」
そう言ってくれる彼の声は、どこまでも優しくて、抱き寄せてくれる腕は力強くて――
「ニクスさんが、前に『ゆっくり眠りたい』って、おっしゃってたから……本当は、後悔してるんじゃないかって………」
しゃくり上げるアンジェリークの体を抱き寄せる腕の力を強めて、ニクスは彼女の耳元で優しく囁く。
「私が今夜眠れずにいたのは、確かに貴女にも関係する事ですが………貴女の考えているような事ではないのですよ?」
「それじゃあ、何ですか?言って下さい」
潤んだ瞳で見上げてくるアンジェリークの姿は、陽だまり邸に居た頃の普段着でも、
現在の普段着である女王のドレスでもなく――フリルのついた純白のネグリジェ。
アンジェリークに自覚は無いが、誘われているようにしか思えない状態で……彼女の魅力に、クラクラする。
「言うと貴女が困ると思いますよ………」
どうにかそれだけ言うニクスは、必死で己の内の欲望と戦っていた。
――エレボスを長年抑え続けてきた彼ならいざ知らず、他の男の前でも同じ事をされては堪らない。
いっそ彼女の恋人でもある自分が、教えてやった方がいいのだろうか……ぼんやりと、そんな事を思いながら。
「ニクスさん。私にも関係があるなら言って下さい!もっと頼りにして欲しいのに、ニクスさんはすぐ隠すんだもの……」
再び涙を滲ませるアンジェリークの切なげな表情に、ニクスの理性の箍が外れた。
ぐいっ
強い力でアンジェリークを引き寄せたニクスは、彼女の艶やかな唇に口付ける。
戸惑う彼女が、息を呑むのが分かる。
しかしその唇の温かく柔らかな感触に、ニクスは止まらなくなっていた。
更に深く、彼女の唇を味わう。
どれ程の間キスをしていただろうか、ニクスが我に返った時にはアンジェリークの息が上がっていた。
(ちょっとやりすぎたようですね……)
ニクスは口に出さずに、自嘲的に小さく笑みを零す。
「つまりこういう事ですよ、アンジェ」
彼女の体からは完全に力が抜け、とろんとした瞳で見上げてくる。
分かっていないアンジェリークの耳元に、触れそうな程唇を寄せると、ニクスは甘く低い声で囁く。
「貴女が欲しくて、眠れずにいた………そういう事です」
その言葉に、一気にアンジェリークの顔が紅く染まる。
やはりまだ早かったか…と、彼女の様子にニクスは苦笑いをする。
ずっと抱き寄せていた彼女を離そうと腕の力を緩めると、アンジェリークがきつく抱きついてきた。
――これにはニクスの方が驚いた。彼女からの不意打ちの抱擁に、胸が大きく高鳴る。
「かっ構いません……ニクスさんなら……………」
アンジェリークは余程顔を見られたくないのか、顔を背けたまま強く抱きついて離そうとしなかった。
最愛の女性にこのような据え膳をされて、食べずに居られる男がいるだろうか?否、いないだろう。
ニクスは恥ずかしさに震えるアンジェリークを優しく抱き上げると、天蓋付きのベッドへと移動する。
そっと彼女をベッドに降ろすと彼女の手を取り、今度は恭しく手の甲に口付けた。
唇を離して彼女を見上げると、ニクスは男の色気漂う微笑を見せて告げた。
「一緒に、生きましょう……そして、幸せになりましょう。貴女もどうか、私をもっと頼って下さい……ね?」
「……………はい」
それは、神聖な誓いにも似ていて――二人の心が、更に近づいたように感じられた。
愛し合う二人の側で、オルゴールの音色はいつの間にか止んでいた。
-Fin-
〜後書きという名の言い訳〜
ど、どうしよう…(激しく動揺)書いてる内に、ニクス×アンジェ初めて話になってしまった(爆)
ニクス×アンジェは書いてると裏に行きそうになるんですよね、あはは〜(もはや爽やかな笑い)
激しくごめんなさいm(_ _;)mそういう訳で管理人は書き逃げします。探さないで下さい(猛ダッシュで逃亡) |