○どうか、幸せでありますように○

斧や鎌を振りかざす怒り狂った人々によって、自分は殺された。
大陸全土を巻き込んだ争いの火種、それだけでも恨みの理由としては十分だろう。
先程までの苦痛は嘘のように消え、今や魂のみの存在となったゼノンはどこか冷めた目で自分の肉体を見つめる。
暴徒と化した町の人間は、既に息絶えた彼の体を罵り、嘲笑いながら刻み続けていた。
既に肉体を離れた彼に苦痛は届かないとはいえ、通常の人間なら己が切り刻まれる光景など正視出来ないだろう。
だが、白い衣の魔術師はただただ静観する。
この程度で自分の罪が償えるとは思わないが、贖罪の術を失った今では他に考えられなかった。

(それで、貴方方の気が済むのなら……)

それでもいいと思った、その瞬間―――
朱に染まったゼノンの遺体から突然凄まじい勢いで炎が上がり、取り囲んでいた者は一斉に距離を置く。

「何だ!?」
「死体が一瞬で灰になったぞ?!!」

怒りの矛先を失った人々は我に返るやいなや、返り血を浴びた自分たちの姿に慄いた。
そんな群衆の様子には目もくれず、ゼノンは何が起こったのかを分析していた。

(これは………)

何者かが、自分の体を燃やした。
町全体が彼を殺すために暴動を起こしたのだから町の人間とは思えない。
―――では、一体誰が?
彼の思考に応えるように、目の前に眩い輝きが現れ、人の形を成した。

「………運命の三女神の三女、シルメリア」
「一目見てそこまで分かる人間も珍しいな。お前の言うとおりだ」

目の前に居るのは、蒼穹の鎧に身を包み、梟の羽根で飾られた兜を被る金の髪の戦乙女。
ゼノンは生前手にした隻眼の写本で得た知識によって、彼女が何者なのかを正確に知った。

「何故、戦乙女がここに来るのですか?」

戦死者の魂を迎えに来るはずの彼女が居るここは、戦場などではない。
そして自分は戦死者ではなく、ただの咎人だ。
彼の疑問に、女神は険しい目で答える。

「お前の魂の声が聞こえたからだ。それに、魂を冒涜する行為を看過する訳にはいかないからな」
「やはり貴女が俺の体を燃やしたのですね」
「死人に鞭を打っても彼らが救われる事は無い。無益なだけだ」
「……そうですね。ありがとうございます」

そっけない口調の戦乙女に、ゼノンはひとまず礼を述べる。
戦乙女は主神オーディンの為、神の尖兵となる人間の魂を捜し求めるのが使命。
大陸制覇の先に神々への反逆を夢見た者としては、これ以上関わりたくない存在だ。
しかしゼノンの期待に反し、女神は彼の前から去ろうとしない。

「私と共に、逝く気は無いか?」
「………俺に、オーディンの犬になれと言うのですか?」
「無理強いはしない。このまま冥界に下り、冥界の番犬ガルムの爪に殺され続けるもお前の自由だ。だが私と共に来れば、ミッドガルドの人々への罪滅ぼしも出来よう」

女神は静かに告げる。
このまま死ぬか、エインフェリアになるか選べと。
ゼノンは、己の希望を伝えた。




堅牢な城の中でも、奥まった場所にある一角。
国王の温厚で誠実な人柄が反映されたその場所にある一室には、華美ではないが質の良い調度品が設えてある。
王と共に国を守る王妃の私室、そこには身なりの良い隻腕の女性と幼い少女の姿があった。
空色のドレスを纏う金髪の女性は暖炉の前に置かれたソファに座り、その膝に座って赤茶色の髪の少女が本を読んでもらっている。

「………こうして姫君は愛する騎士と結ばれ、二人は国を丸く治めたのです。めでたしめでたし」
「ねぇおかあさま。『あいする』ってどういうこと?『こい』ってなに?」

物語を読み終えた女性は本を閉じ、膝に乗る子供の髪をそっと撫でた。

「そうねぇ………愛するっていうのも色々あるけど、クリスがいつもお兄様に言ってる『だいすき』 よりももっと強くて深い気持ちね」
「わたし、おにいさまだいすき!」

彼女が養子として引き取った少年への好意を腕をいっぱいに広げて表す娘を、母は微笑ましく見つめる。

「その気持ちもいつか『恋』になるかもしれないけど、人を好きになるのは素晴らしい事よ」
「じゃあおかあさま、『こい』って?おかあさまも『こい』したことあるの??」

興味津々に尋ねる娘に、女性は困ったように笑う。
恋ではないが、彼女は夫を信頼しているし愛している。
共に在り続けたい、その思いに偽りは無い。
しかし、恋をしたことがあるかと問われ、覚えが無いはずなのに白い影が過ぎる。
それ以上考えないように、自らの思考を振り切るように彼女は呟いた。

「お母様は小さい頃からずっとお父様と結婚するかもって言われてたから、恋なんて出来なかったわね」
「おかあさま………」
「今はお父様もクリスもセルヴィアも、ついでにアルムも居るから平気よ」

心配そうに見上げる娘を安心させようと、彼女が微笑んだその時―――

「!!っつぅ……」
「おかあさま!どうしたの、またうでいたいの?」

いきなり苦悶の表情で蹲った母を見て、少女は慌てる。
母は時折、無いはずの片腕が痛むと言って苦しがるのだ。
本来なら使用人が側で控えているのだが、親子水入らずの為に母が人払いをしていた。

「待ってておかあさまっ人よんでくるから」
「お願い、クリス………」

娘は涙を堪え、急いで部屋を飛び出していった。
部屋には幻の痛みに苦しむ女性がただ一人居るだけ。
そこに、人の目に見えない姿で二つの存在がやってきた。



本来片腕があるはずの空間を庇うようにして痛みに耐える女性を見た白い服の魔術師は、思わず彼女の側に駆け寄った。
触れようとした指先は彼女の体を突き抜けてしまい、今の自分に実体が無いのだと思い知る。

「………フィレス王女……」

この呼びかけも、目の前の女性には届かないのだ。

「失ったはずの腕が痛むのはよくある事だけど、彼女の場合は片腕を失った戦で心に負った傷のせいね」

いつの間にか女性らしい口調で話す戦乙女の言葉に、魂だけの存在となったゼノンは心を痛める。
フィレスが片腕を失ったそもそもの原因は、自分なのだ。
それが今なお彼女を苦しめている事に、隻眼の写本に操られていた我が身を呪う。

大陸制覇を目指したのは、自分の志がその果てにあったから。
操られていなければ、ゼノンは戦争よりもっと穏やかな方法で大陸を纏めようとしただろう。
―――人間が神々の支配から自立するために。
しかし隻眼の写本は彼の思考を徐々に支配し、大陸全土を巻き込む大戦争を引き起こさせた。
それが結局、多くの人々から大切なものを奪った。
フィレスは片腕だけでなく、大切な姉や腹心の部下を失ったのだ。
許して欲しいなどとは、言えない。言わない。
彼女が自分をどう思っているかは分からないが、自分を恨む事で彼女が楽になれるならそれでもいい。
しかし肉体を無くした今、自分が彼女に出来る事は何だろうか………

「自分で選び取りなさい。追従するのではなく、自分で考え、自ら選択するのが人に残された最後の自由よ」
「………」

ゼノンは癒しの術を唱えながら自分の手を、フィレスの失った片手があるはずの場所に翳す。

「………?」

フィレスは無いはずの腕にふと温もりを感じ、何も無い空間に目を遣る。
痛みが無くなったらしいその様子にゼノンは微笑み、彼女には聞こえない願いを口にした。
その思いに、女神は応える。
頷く戦乙女に心からの礼を伝えると、名残惜しむように想い人の方へと振り向く。

「フィレス王女。君が以前言ったように、俺は自分にできる事で罪を贖い続けるよ」

女神は純白の両翼を広げて飛び上がり、両腕を広げる。

「どうか、君が―――…」
「え?」

白い衣の魔術師は全身を女神の光に包まれ、やがて光となって女神の体へと吸収された。
その出来事を、フィレスは知らない。
しかし………

「この羽根は………それにさっきの声………………まさか、ゼノンが?」

今や大陸全土の人間が口にするのも忌まわしいと感じる男の名を、フィレスは呟く。
腕の痛みが無くなったのにも気付かず純白の羽根を手に、娘が人を連れて戻ってくるまで、彼女は虚空を見つめ続けていた。
その頬に、一筋の涙を伝わせながら………


-End-

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