―月と太陽―

やわらかな月の光が惜しみない愛情を降り注ぐように、ゼノンと彼の隣に座るフィレスを照らす。

「魂が洗われるような光ね……」
「………そうだね」
「いつも優しく見守ってくれてるみたいだから――アタシは月が好きなの」
「くすっ……君を見てれば分かるよ、フィレス」

二人はエインフェリアとしての生から解放されてからも、友人としてしばしば酒を酌み交わしていた。
ゼノンが彼女を名前だけで呼ぶようになったのは、彼が幾度かフィレスの酒の相手をしている内に、痺れを切らした彼女に言われてからだ。

倒木に並んで座る二人は杯に入った酒に月を映し、それ以上言葉を交わす事無く月を仰ぐ。
聞こえてくるのは、澄んだ虫の音と草原を吹き抜ける風の音だけ。
ゼノンは隣で微笑を浮かべるフィレスの横顔をちらりと盗み見て、己の手元の杯に映る月に視線を落とす。
そして口には出さず、思う。

(君が月を好きでいる以上に、月は君を愛しているだろうね…フィレス。君が月に見ているのは、シフェル王その人なのだから………)

生前―戦乙女にエインフェリアとして選定される前の、人間として暮らしていた頃―から彼女に片思いをしてきたゼノンは、彼女が夜空に浮かぶ丸い月に何を重ねているのかを敏感に感じ取っていた。
彼の胸に、ちりちりとした痛みが走る。

「フィレス」
「何?」
「君は何故、エインフェリアになったんだい?………そのまま安らかに眠る事もできただろうに」
「……………そうね。確かにあのまま転生への道を選ぶ事も出来たわね」
フィレスは曖昧に微笑んで、杯をあおる。

ゼノンにはどうしても分からなかった。
神々の尖兵であるエインフェリアとなって生き続ける道を、生涯かけてアース神族の主神たるオーディンに弓引いたフィレスが選んだ理由が。
隻眼の写本の神気にあてられ気付かぬ内にオーディンの掌で都合良く踊らされた自分とは違い、彼女は五十八年の生を存分に生きただろうと思われた。
無論、後悔も多かっただろう………親しい者のほとんどに先立たれてしまったのだから。
結局フィレス自身の命が尽きる瞬間まで側に居たのは、彼女の夫であるシフェル王ただ一人だったらしい。


はぐらかされたゼノンの思考は、フィレスの声で中断される。
ほろ酔いでほんのりと頬を染めた彼女の笑顔は、どこか嫣然としていた。

「………そんなに知りたい?」
「そうだね。聴かせて貰えるなら……」
「また会いたかったから。アタシがアタシとして生きていれば、また会えるかもしれないと思ったから……………それだけよ」

誰に、とは聞かない。
彼女はきっと、親しかった全ての人間に会いたかったのだろうから。
フィレスらしいといえばらしい理由だと、腑に落ちた。

ゼノンは小さく「そうか…」とだけ答えて、自らも酒をあおる。
今年の葡萄酒は上出来で、口の中いっぱいに極上の芳香が広がる。
その勢いのまま、隣に座ってこちらを見ていたフィレスの唇に口づけた。

触れるだけの、少し冷たいキス。
彼女は少し身を硬くしたが、抵抗はしなかった。
時間としては瞬きの間だったのだろうが、ゼノンには永遠にも近い時間のように思われた。


唇が離れた後、静かな声でフィレスが問う。
声音から判断するに、怒っているのでも嫌悪しているのでもなく、ただただ純粋な疑問らしい。

「どうしていきなりキスしたの?」
「………君に月を見せたくなかったから、と言ったらどうする?」

冗談ぽい笑顔を作ってゼノンが言うと、フィレスは少し拗ねた顔を逸らした。

「…………………………大人気ないわよ、ゼノン」
「あはは。そうだね」

そりゃあ大人気なくもなるさ。
分かたれてなお、月は俺の大事な太陽を独り占めしているのだから―――…


-End-


〜言い訳〜
ブログより再録の、シフェフィレ前提ゼノフィレ小話でした。『月に愛されし太陽』と繋がってるかもしれません。
やっぱり難産で、書き上げるのに3時間かかりました(^^;) 楽しんで頂ければ幸いですm(_ _)m


2007.10.28 UP

ここまで読んで下さってありがとうございます

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