○月痕○

物思いに耽っていたフィレスは、背中に軽く何かが当たる感触を覚えた。
振り返ってみれば、馬の尻尾のように高く結わえた赤茶色の髪が見える。

「あらクリス。どうしたの?」
「………」

我が子に声をかけてみるも、クリスティは無言のまま。
返事代わりなのか、そのまま両腕を回して抱きついてきた。
そういえば生前―彼女たちがパルティア公国の王宮で暮らしていた頃―まだ幼かった娘は時折こうして甘えてくる事があった。
そういう時は大抵、何かあった時だったが……

「セルヴィアと喧嘩でもしたの?」

生前からずっと仲の良い二人は喧嘩などはほとんどした事が無かったし、どちらかといえば我儘をセルヴィアに諭されて落ち込んだ時に自分の元へ甘えにきていたのだが。
娘が悩む時は大抵彼に関する事だったので、てっきり今回もそうだと思った。
しかしその考えは、クリスティが無言で首を横に振った事で否定される。

「お母様………お父様の事、今でも愛してますか?」
「勿論よ」

突然の質問に面食らいつつも、フィレスは即答した。
あまりにもはっきりと当然のように返されたクリスティは、安心したのか腕を解いてフィレスに笑顔を見せる。

「もしかして、それで悩んでたの?」
「だって……」

言いよどむ我が子に、フィレスは構わないから続けるよう促す。
彼女が不安に感じている事に心当たりがあるからだ。

「だってお母様、あの人と仲がいいみたいでしたから………」
「“生前は敵同士だったのに”?」

娘が言わんとしている事を予想して口にすると、娘は否定もせず続けた。

「それもありますけど、お母様はどう思ってらっしゃるのかなって」
「嫌いだったら一緒に居ないと思うわよ。生前は色々あったけど、今はエインフェリア仲間な訳だしね」
「………何か、はぐらかそうとしてませんか?」

探られる前に先手を打ったつもりだったが、娘は勘が鋭く一筋縄ではいかないようだ。

(そういうところ、シフェルに似たわね……)

娘の一面に生前の連れ合いを見出し、フィレスは懐かしさを覚える。
彼女の聞きたい事は大体分かったが、おそらく自分と『彼』の事を気にしているのは、娘だけではないだろう。
特にセルヴィアにとっては実の両親や村の人々を失う遠因ともいえる人物なだけに、育ての親とも姉とも思う自分がどう思うのかは気になるはずだ。
白い衣に身を包んだ因縁深い魔術師への好意を否定するのは簡単だが、それで彼らが納得するとは思えない。
どう答えたものかと思案していると、娘が微笑んで告げた。

「お母様がゼノンさんをお好きなら、私はそれでもいいと思います。………少なくとも、今もお父様を愛していらっしゃるのは確かだと分かりましたから」
「………あなたにとっては矛盾してるかもしれないけれど、ね」

遠回しに肯定するフィレスの言葉に娘はどう答えたものか分からず、困った笑顔を浮かべた。
ただ一人を一途に思い続けるクリスティには、きっと分からない。
そう思っていたからこそ、我が子の言葉に目を見開いた。

「勿論完全に理解なんて出来ませんけど……もし私達と同じようにお父様が復活していらしたら、ゼノンさんの入る余地はなかったと思います。それが分かる程度には、私も成長したのかもしれません」
「……………城を出た後何があったのかは聞かないけど、必ず幸せになりなさいよ。あの人もずっとあなた達の事心配してたんだから」

先ほどより大人びた微笑で、クリスティは頷く。
そして―――

「お父様は、お母様にもちゃんと幸せになって欲しいと思ってますよ」

父親と同じ髪、同じ顔立ちをした娘に、生前の伴侶の笑顔が重なって見えた気がした。



-End-




〜後書き〜
夜明けの月影を月痕というそうです。

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